マニュアルの歴史について振り返ってみます。
昔から、国や地域、時代ごとに、行動規範や規則、なんらかの説明書きなど、マニュアル的な要素のものはあったと思いますが、現代に通じるマニュアルの基礎ができたのは、今から約140年前、世紀末のアメリカでした。「経営学の元祖」といわれるフレデリック・ウィンズロー・テイラーが提唱した「科学的管理法」が、マニュアルの原点といわれています。
この科学的管理法を導入した工場の生産性はグンと向上し、生産現場に近代化をもたらしました。一方で、厳格に仕事を管理するやり方だったため、現場の労働者から反発を買い、「人間の個性や心理といった人間性を軽視している」とか、「人間を機械と同一視している」という批判の声も数多くあがりました。やがて、「人権侵害につながる問題」として、大きな反対運動にまで発展してしまいました。
今で言うところの「マニュアル人間化」の否定です。
マニュアル(の原型)は、誕生したときからすでに偏見を持たれ、否定され、“悪者”扱いされる宿命にあったわけです。
そして、日本にマニュアルが入ってくると、そこに「お家文化」や「ご近所文化」、「鎖国意識」といった、保守的な秘匿文化ともいえる日本特有の要素がかけ算されて、マニュアルに対するネガティブなイメージが、余計に深くなってしまったようです。
でも、本来、マニュアルは“悪者”なんかじゃありません。
そもそも「仕事が遅い」と言われてしまう人のほとんどは、「能力がなくて仕事が遅い」わけではなく、どうしていいかわからずに悩んだり、迷ったり、うまくいかずにやり直したりすることで、結果として仕事が遅くなっているだけです。
そこで、「悩む」「迷う」「やり直す」という仕事の生産性を邪魔する三要素をなくし、「探究する」「新しい発想を生み出す」「創意工夫をする」といった、頭の中の空き容量で行うことのために時間を増やす役目を果たすのがマニュアルなんです。