ピアノ

「仕事の標準化」から生まれたマニュアルですが、その概念や考え方は、何も仕事にばかり結びつくものではありません。みなさんのマニュアルに対する認識を変えていただくために、もう少しマニュアルの存在意義についてお話ししたいと思います。

『エリーゼのために』というピアノ曲があります。

「聴いたことがない」と言う人がいないくらい、超有名な曲ですね。

実は結構テクニックが必要な難しい曲なんですが、小学生くらいの子が見事に弾きこなしていたりしますよね。子どもたちのピアノの発表会でも人気の曲だそうです。

作曲したのはルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。こちらも言わずと知れた大作曲家です。この曲が作曲されたのは1810年なんですが、僕がすごいと思うのは、200年以上も前に外国で作られた曲を、21世紀の日本の子どもたちが弾ける、という点です。もちろんベートーヴェンに限ったことじゃないですが、何百年も前に作られた曲を、直接聴いたことのない後世の人間が再現できるんですよ。すごいことだと思いませんか?

「楽譜があるんだから当然じゃないか」と思うかもしれません。

そうなんです。「楽譜があるから当然弾ける」んです。

楽譜は、音楽を一定の約束(ルール)に基づいて、記号や数字などを使って書き表したものです。ルールや記号の意味が決まっているからこそ、時代や国が違っても、その音楽を再現することができるわけです。

これ、マニュアルも同じことなんですよね。

やるべきことやその手順を、誰でもわかるように、そして誰でも再現できるようにするためのもの、それがマニュアルです。

だから、楽譜もひとつのマニュアルと言っていいでしょう。

もし、ベートーヴェンの曲が、誰かが耳で聴いただけだったり、ピアノの弾き方を見ただけで伝えられてきたとしたら、現代の僕たちは“ベートーヴェンが作ったっぽい曲”しか知らなかったでしょう。きっと、それはもう彼が作曲した曲とは別物になっていたんじゃないでしょうか。曲が楽譜に残されて、旋律や強弱などが示されているからこそ、いつの時代にもベートーヴェンが考えたそのままのメロディやリズムを味わい、楽しむことができるわけです。

ただ、ちょっとだけ惜しいと思うのは、楽譜には作曲者の「思い」や「気持ち」が書かれていないことです。

『エリーゼのために』の楽譜には、音階や速さは書かれていても、エリーゼがどんな女性で、ベートーヴェンが彼女に対してどんな思いを込め、どんな情景を思い浮かべてそれぞれのフレーズを作曲したのか、という情報までは書かれていません。だから、厳密に言えば、ベートーヴェン以外に、彼が表現したかったとおりの『エリーゼのために』を弾ける人間はいないことになります。

でも、本来のマニュアルはそうであってはいけません。誰が、いつやっても、同じことを再現できるように書かれているのが正しいマニュアルです。そういう意味で、楽譜は「マニュアルの一歩手前」に位置するもの、と言うのが正解かもしれません。

余談ですが、『エリーゼのために』は、実はどうやら「テレーゼ」という女性に捧げた曲だったようです。彼の字が汚すぎて、「テレーゼ」と書いてあった部分を「エリーゼ」と読み間違えられてしまった可能性が高いんだそうです(ほかにも説はあるようですが)。